思うことです
今回は実家の母の話
前にも書いたけど
私の実家は物が多くて散らかり放題です
1年くらい前に祖母が住んでいた母屋を片付けたけど
母が住んでいるハナレはそのままにしておきました
キレイになった母屋に感化されて少しでも片付け始めてくれるといいな…と
淡い期待を抱いていたのですが
ご想像の通り期待は見事に破れ
ハナレは相変わらずの状態が続いています
このままではキレイになった母屋も浸食されて
また物だらけの散らかり放題になってしまうかもしれないと心配したのですが
不思議とそれは大丈夫です
散らかり放題のハナレで過ごしている母は時々母屋を訪れて
特に何をするでもなく
キレイに整った空間をしばし味わって
また散らかったハナレに戻っていくそうです
キレイに整った部屋の空気を心地よいと感じているのですが
自分の住まいを心地よい空間にしようとは思わない
要は片付けるのが面倒くさいのです
キレイな部屋で暮らしたい<<<<片づけるのが面倒
という図式
自分の住まいをキレイにすれば
いつでも心地よい空気を味わえるのに「面倒くさい」が勝ってしまう
恐るべし「面倒くさい」
じゃあ一度キレイに片付けてあげれば
キレイをキープできるのかというとこれがまた難しい
キレイをキープするためには
出したものや使ったものを元に戻さなければいけません
そこでもまた「面倒くさい」が邪魔をします
キレイをキープしたい<<<面倒くさい
なのでいつの間にか出しっぱなし置きっぱなしの物があちこちに散らばります
私の部屋はわりと片付いています
出したもの使ったものは基本的に戻すので散らかり放題にはなりません
母との違いはというと
私はキレイをキープしたい気持ちが強いのではなく
面倒くさいと感じないから
母はキレイな部屋に興味がないわけではないけど
面倒くさいが強すぎる
片付けって面倒
やらなくても散らからないならそれに越したことはない
でも
散らかった部屋がイヤ>>>片付けが面倒
だから片付ける
母の場合は
散らかった部屋がイヤ<<<片付けが面倒
だから片付けない
「散らかった部屋がイヤ」の大きさは同じで
「片付けが面倒」の大きさが違う
そんな気がします
母の「面倒くさい」が強敵すぎて
キレイな空間の魅力をどんなに伝えても
それを母が実感しても
「面倒くさい」には勝てそうにありません…
ではまた